2019年3月6日水曜日

2019年3月の掲示板



 あっという間に2月が終わり、もう3月に入ってしまいました。あたりはすっかり春の装いになり、日が長くなってきたなと思えばもうお彼岸の季節でした。まさに「光陰矢の如し」ですね。年々時の流れが速く感じられ、このまま、ただただ流されるままに歳を重ねていくことを思うと、蓮如上人が「電光朝露」の一生であると言われたのも少しうなずける気がします。そんな中でも、季節の訪れや新たな気付き一つひとつに感動しながら、できるだけこのいのちを丁寧に生かさせていただきたいものです。

 さて、今月の掲示板の言葉は、詠み人知らずですが、ある女の子が書いた詩を紹介させていただきました。この詩を読んでいると、この女の子の中には、おおらかでとても温かい世界が広がっていることが伝わってきます。つまり、阿弥陀さまとお浄土という世界がしっかりとこの女の子のいのちを支えてくださっているなぁと感じます。

 私たちの目に映るものは楽しいことや嬉しいこともありますが、それ以上につらいことや悲しいことの方が多いのかもしれません。しかし、ここで言われている「かなしいときには目をつむろう」という言葉は、単純に「悲しいことは見ないようにしよう」ということではないように思えます。次の言葉に「まぶたの裏には広い世界がある」と続くように、悲しいことにフタをするのではなく、悲しいことが悲しいままでは終わらない広い世界があるということでしょう。その世界は目で見ていくような世界ではなく、心の中に開けていく世界。それがお浄土という世界でありました。
 そして、さみしいときにそのさみしさを包み込んでくれるものは、底抜けの温もりです。「南無阿弥陀仏」と手を合わせるとき、そこには私のさみしさをすべて知り尽くし受け止めてくださる阿弥陀さまが「私がいつでもそばにいるよ」と温かく呼びかけてくださいます。さみしさに暗く冷えた心に温かな光が届くとき、私の心は温められていくのでありました。

  「かなしいときには 目をつむろう
   まぶたの裏には 広い世界がある
   さみしいときには 手を合わそう
   むねのなかには ひかりがある」

 悲しみの多いこのいのち、孤独を抱えながら生きていくこのいのち。しかし、悲しみが悲しみのまま終わっていかない世界、孤独が孤独のまま終わっていかない世界。そんな世界をいただいていくのが浄土真宗というみ教えでありました。ともに広く明るく温かな世界をこの身にしっかりといただいて生きていきたいなと思います。
合掌

誓林寺
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