2019年4月4日木曜日

2019年4月の掲示板



 
 境内の桜が満開になり、美しく誓林寺を荘厳してくれています。やはり桜を見ると「春」を感じずにはいられません。新しいいのちが芽吹き出すこの時期は、いのちの力強さを感じ自然からとても元気をいただきます。4月1日には新元号が「令和」と発表され、5月1日にはいよいよ新しい時代を迎えます。平成最後の月、そして新年度の最初の月、慌ただしく過ぎていきそうですが、新しいことが始まるドキドキを楽しみながら過ごしていきたいと思います。

 さて、今月の掲示板の言葉は、香川県坂出市の歌人 中河幹子さん(18971980年)のおうたです。このおうたは、作者の幼少の頃を詠まれたものだそうですが、日常の中にお念仏の薫りがするとても素敵なうたです。「そをききわけぬ」というのは「それを聞き分ける」ということ。つまり、同じ「南無阿弥陀仏」のお念仏であっても、その声色で親が喜んでいるのか悲しんでいるのかが伝わってくるということなのでしょう。それほどまでに、どんな時もお家の中がお念仏の声で満たされていたんだろうなということが想像できます。

 私たちは「お念仏」と聞くと、ついつい心を静めて称えるものだと思いがちです。けれども、宗祖親鸞聖人は「お念仏を称えることに私の心持ちは関係ないんだ」とお示しくださいました。なぜなら、お念仏は阿弥陀さまが私のいのちに寄り添ってくださっている“すがた”だからです。私のいのちは、悲しみに涙し途方に暮れることもあり、はたまた喜びに笑みがこぼれ、嬉しくてじっとしていられないこともあります。時には、ただボーーっとしていることだってあります。けれども、その私のいのちそのものに寄り添うと誓ってくださったのが阿弥陀さまなのです。だからこそ阿弥陀さまは、「あなたのいのちある所がお念仏の出る所」と仰ってくださいます。「悲しかったら涙ながらにお念仏すればいい。嬉しかったら弾んだ声でお念仏すればいい。何も考えずにただただボーーっとお念仏すればいい。そのあなたを私がしっかりと受け止めていきましょう。」そんな風に仰ってくださるのが私たちの阿弥陀さまでありました。

  「喜びに 悲しみに
   念仏(ねぶつ)したまへば
   幼き耳も そをききわけぬ」

 喜びにつけ悲しみにつけ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏申しながら、周りの人もその喜び悲しみを共にできる。そんなお互いでありたいなと思います。
合掌

誓林寺
http://seirinji.main.jp