気が付けば、6月もすっかり折り返しを迎えてしまいました。いろいろと追われながら過ごすうちに更新が遅くなってしまいました。すみません。
誓林寺の境内の梅の木は、5月の不順な天気にも負けず立派な実をつけてくれました。たくさんの梅の実は今年もまたおいしい梅酒や梅ジュースへと姿を変えてくれることでしょう。そんないのちの恵みに感謝しながら今月の残り2週間も過ごして参りたいと思います。
さて今月の掲示板の言葉は、誓林寺からご門徒の方にお配りしている『ほのぼのカレンダー』の6月に載っている言葉、「生きているつもりでいたら 生かされていた 私」です。
私たちは、日々の暮らしの中でそれぞれが自分なりに精一杯生きています。「一生懸命に生きている」という思いが募るほど「私が頑張っているから生きていけているんだ」と受け止めてしまいがちです。確かに私が頑張らないと生きられないという側面もありますが、仏さまの教えを聞かせていただくと「本当にそれだけだろうか?」ということに気付かされます。
仏教は「縁起」ということを説きます。つまり、すべてのことはあらゆる原因と結果に縁(よ)って起こっているんだということです。言い換えれば、何一つ無関係なものはありませんということです。ということは、私一人で頑張って生きていたのではなく、頑張る私を支えてくださる周りのいろんな思いやはたらきかけがあったから私は頑張っていられたのでした。
蓮如上人は『御文章』(白骨章)の中で、「無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉じ」と仰っています。どれだけ健康であっても若くても、縁が整ってしまえばいつだっていのち終えていかなければならないのが私たちの姿でありました。その私が今日こうして生きることができているのは、いろんなご縁に「生かされている」からでありました。なればこそ、「生かされている」大事ないのちを精一杯生かさせていただきたいなと思います。
合掌