2019年10月22日火曜日

2019年10月の掲示板

 
 台風19号による未曽有の大雨により日本各地で甚大な被害が出ています。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。そして、一日でも早く日常が取り戻されることを願います。悲しいニュースの一方で、日本ラグビーがワールドカップで快進撃を見せ国中を盛り立ててくれました。私を含め多くの方がラグビーの試合に感動されたことだと思います。
 お恥ずかしいことですが、良くも悪くも目立たないとなかなか気が付けない私の姿がここにあります。せめて、大事なことを見失いがちな私に大事なことを伝えてくださる声に耳を傾けられる人でありたいと思います。

 さて、今月の掲示板の言葉は、島根県石見の妙好人 浅原才市さん(1850~1932)のおうたです。才市さんの作られたおうたは前にも何度か紹介させていただきましたが、天性の才能なのでしょう。どのおうたもとても語呂がよくて耳に心地よく、言葉が胸にすっと入ってきます。今月紹介のおうたもそのひとつです。
 仏さまのこころだけではなく私たちのこころも目には見えません。だからこそ私たちは「言葉」を通して話をし、こころを伝えていくのですが、この「言葉」がとてもやっかいです。確かに私たちは「言葉」によって相手のこころを知っていくことができますが、私たちが使う「言葉」は残念ながらこころをすべて表すことができませんし、時にはこころと「言葉」がチグハグのことだってあります。けれども、私たちはこころを直接見られませんから、「言葉」に頼らざるを得ないのでどうしてもこころの行き違いが起こってしまいます。「言葉」がないとこころが分からないのに、その「言葉」で余計にこころが分からなくなっているのが私たちでした。
 
 そんな中で、こころはおろか姿さえ見ることができない阿弥陀さまと、「言葉」とこころが異ならない、まことの会話をすることができることを「不思議なものよ」と喜んでいかれたのがこのおうたでした。その会話の「言葉」は「称名念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」です。この「南無阿弥陀仏」という「言葉」は、阿弥陀さまの「あなたを決して見捨てずどんなときも支えていますよ。」というおこころを(この言葉ですらすべて言い表せていませんが)そっくりそのまま余すことなく表してくだっている「言葉」です。このお念仏の会話を通して阿弥陀さまのこころのぬくもりに触れていくのです。
 会話は相手のこころを聞いていくためのもの。そうであるならば、「南無阿弥陀仏」のお念仏は、誰かが亡くなったときにだけ称えるものでも誰かのために称えるものでもなく、今私が阿弥陀さまのおこころを聞かせていただくものでありました。そして、普段の会話の場面は日常の中に散りばめられているように、お念仏を称え阿弥陀さまとお話をする場面もお仏壇の前だけじゃありません。日常のいたるところに散りばめられています。そのために阿弥陀さまはいつでもどこでも「南無阿弥陀仏」と出てくださる仏さまになってくださったのでありました。
 「 仏のこころは 不思議なものよ
   めにはみえねど 話ができる
   仏と話をするときは
   称名念仏 これがはなしよ  」
 日々の様々な場面で、お念仏という阿弥陀さまの温かいおこころを聞かせていただく会話を大切にしながら生きていきたいなと思います。
称名

誓林寺
http://seirinji.main.jp