2019年12月24日火曜日

2019年12月の掲示板



 2019年も残すところあとわずかとなりました。「令和」という元号もすっかり慣れ、気が付けばその令和も2年になろうとしています。あっという間に駆け抜けてしまった2019年。けれども、その中にも温かい有難いご縁をたくさんいただいた1年でした。お育ての中に生かされてあることに感謝しつつ、また新しい年を迎えられるよう準備をしてまいりたいと思います。

 さて、今年最後の掲示板の言葉は、金子みすゞさんの『海とかもめ』という題のお詩です。掲示できる紙の大きさの都合上、全文を書くことができませんでしたが、掲示板には私が一番ドキリとした言葉を載せさせていただきました。全文は以下のようになっています。

  「 海は青いとおもってた、
    かもめは白いとおもってた。
    だのに、今見る、この海も、
    かもめの翅(はね)も、ねずみ色。
    みな知ってると思ってた、
    だけどもそれはうそでした。
    空は青いと知ってます、
    雪は白いと知ってます。
    みんな見てます、知ってます、
    けれどもそれもうそかしら。 」

 金子みすゞさんの鋭い洞察力によって見抜かれた、私たちの「当たり前」のもろさが詩の中で巧みに言い表されています。今の時代を生きる私たちにとっては、実際に「見える(分かる)」ことがとても重要になっています。けれども、私に「見えて(分かって)」いるものが本当(まこと)かどうか、あるいは「見えて(分かって)」いるものがすべてかどうかはよくよく注意をしないといけないのかもしれません。

 日中に晴れていれば「空は青い」です。けれども、夕方になれば空は茜色になりますし、夜になれば黒くなります。「雪」も同じことが言えます。「空が青い」ということは「うそ」とまでは言い切れないですが、それがすべてかと言われるとそうではありません。

 仏教では、どんなに周りの状況が変わっても変わらない言葉、そして必ず言葉のようになることを「まこと」と呼びます。それで言えば、「空は青い」ということは「まこと」ではないということになります。そうやって考えていくと、私たちの身の回りで見聞きすることは「まこと」ではないものばかりだということに気が付かされます。そのことを親鸞聖人は、「よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなき」(『歎異抄』後序)と言われたのでした。

 では、仏教である浄土真宗の「まこと」とは何か?というと、親鸞聖人が「ただ念仏のみぞまことにておはします。」(同上)と言われたように、「南無阿弥陀仏」のお念仏こそがどんなに周りの状況が変わっても変わらない「まこと」でありました。
 何が変わらないのか?と言えば、阿弥陀さまの仰せが変わらないのです。その仰せとは、「あなたのいのち、必ずお浄土に生まれさせ仏にならせてみせる。」というものです。この仰せは「まこと」ですから、必ずこの通りにならせていただくのです。

 そんな仰せが絶えず変わらず私のもとに「南無阿弥陀仏」という言葉となって届いてくださっているから、私たちは「まこと」に貫かれた、変わらない(うそではない)人生を歩ませていただくことができるのです。

 年が変わっても、時代が変わっても、そしてこの私が変わってしまっても決して変わらない「まこと」のお念仏、「南無阿弥陀仏」を大切に称(とな)えながら、過ごしてまいりたいと思います。

称名

誓林寺
http://seirinji.main.jp