2020年1月31日金曜日

2020年1月の掲示板



 新年を迎えました。気が付けばもう令和も2年になりました。今冬は暖冬になり、おかげさまでいつもより過ごしやすい日々になっていますが、スキー場や雪まつりなど冬ならではの行事が雪不足で困っておられるそうですね。雪解け水も少なくなりそうですから、春夏の水不足も心配されます。何事もすべての人にとって都合の良いものはなかなかないのかもしれません。コロナウイルスも心配されます。くれぐれも体調には気を付けて参りたいと思います。

 さて、今月の掲示板の言葉は、『2020年 ほのぼのカレンダー』よりいただきました。更新の時期が大幅に遅れたので2月のお言葉から引用させていただきました。言葉の意味は説明しなくても分かるのではないのかなと思いますが、そのお心を少し味わわせていただきたいと思います。

 宗祖親鸞聖人は、お念仏を「本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)なり」とお示しくださいました。つまり、お念仏は私が称(とな)えるものだけれども、実は、お念仏を称えている姿はそのまま阿弥陀さまに呼ばれている姿なんだよということです。

 私はいつ親のことを「お父さん」「お母さん」と呼べるようになったかは分かりませんが、なぜ「お父さん」「お母さん」と呼べるようになったかはハッキリ分かります。それは、親が私に向かって「お父さん・お母さんだよ」と呼び続けてくれたからでした。
 親は呼んでほしい名で子どもに呼びかけることでその子に親であることを告げ、子どもは、その親の名告(の)りを聞いて初めて親を親として呼ぶことができるのでした。

 「南無阿弥陀仏」というお念仏も同じでした。「あなたのことを決して見捨てない、いのちの親がここに居るぞ」という阿弥陀さまの名告りのお呼び声が「南無阿弥陀仏」でした。このお念仏が私の口から出てくださるからこそ、私たちは、阿弥陀さまがいのちの親であることを知らせていただき、また、このいのちの親さまを「南無阿弥陀仏」と呼ばせてもらうことができるのです。そのことを実家の父は、

  「 南無阿弥陀仏で 親を知り
    南無阿弥陀仏の 親に遇(あ)い
    南無阿弥陀仏と 二人連れ 」

 と詠んでいました。いつどこにいても「決して独りにはさせない」と呼び続けてくださる阿弥陀さまとご一緒の人生をともに歩ませていただきたいと思います。

称名

誓林寺
http://seirinji.main.jp