2020年10月28日水曜日

2020年10月の掲示板




 境内の桜の葉はほぼ落ち切り、代わりにイチョウの木がしっかりと葉を蓄え黄葉の準備をしています。来月の報恩講の頃にはまっ黄色に染まりそうです。いよいよ秋が深まりつつある中、日暮れもどんどん早くなってきています。しかし、その分夜の静かな時間が増え、晴れていれば星がいつもに増して輝いているように見えます。秋の夜長、澄んだ空に瞬く星に心落ち着かせながら過ごして参りたいと思います。


 さて、今月の掲示板の言葉は、童話作家の工藤直子さんが『のはらうたⅢ』という本で紹介してくださった野原に棲むふくろうさんの詩を書かせてもらいました。太陽が沈み、暗いはずの夜空には、日中には全く見えなかった無数の星たちがまばゆく輝いていました。そんな景色を見たときに、ふくろうさんはとても大切なことに気が付いてくれました。それは、星が「ひかるためには くらやみもひつようだ」ということ。つまり、明るくては見えてこない世界もあるということでした。


 私たちの周りには、明るいと見えてこないものが他にもあるように思います。たとえば、ホタルの光や花火などもその1つとしてあげられそうです。このような、明るくなればなるほど逆に見えなくなるという現象は、実はモノだけではなく、心の問題についても言えそうです。たとえば、腹が立っているとき、「自分が正しい」という思いが大きく(明るく)なればなるほど相手の思いが見えなくなっていきます。あるいは、「金に目がくらむ」という言葉があるように、欲が暴走すると、大事なものがどんどん見えなくなってしまいます。いずれも、そこには「私の思い」が先行している姿があります。


 このように、怒りや欲、そして「私の思い」は大きく(明るく)なればなるほど大事なものを見えなくしてしまいます。それゆえ、仏教ではこの3つを大事なものを見えなくする3つの毒という意味で「三毒の煩悩」と呼びます。


 そして、「私の思い」が強いほど見えなくなる大事なものの1つに阿弥陀さまのみ教えがありました。阿弥陀さまのみ教えは、「あなたのいのち、お浄土に生まれ仏となるいのちに仕上げたから、どうか「南無阿弥陀仏」とお念仏を称(とな)えながら生きてきておくれ」という阿弥陀さまの仰せをそのまま聞き受け、お浄土に生まれ仏となるいのちとしてお念仏申しながら生きるというものです。ここに「なぜ?」とか「本当に?」という「私の思い」が差し挟まると、途端に阿弥陀さまのお心が見えなくなってしまいます。 


 けれども逆に、「私の思い」を少し横に置き(暗くして)、阿弥陀さまの仰せをそのまま聞かせていただくとき、夜空の星の光のように、阿弥陀さまのお心が私の心に届いてくださるのです。そして、この届いてくださる光は、不安や悲しみに沈み心暗くなったその時にこそ、私の心をあたたかく照らす光となって、私のいのちを支えてくださるのです。


   「 みあげれば よぞらのほしが 

     まつりのようにまぶしい

     ああ ひかるためには 

     くらやみもひつようだ  」

   

 「私の思い」が先行するあまり、真実に暗く大切なものを見失いがちな私。その私にこそ届いてくださる阿弥陀さまのみ教えという光に照らされながら、このいのちを大切に生かさせていただきたいと思います。

 

合掌


誓林寺
http://seirinji.main.jp