報恩講を彩ってくれたイチョウの木もすっかり散りましたが、その下には黄色の絨毯が敷かれています。境内の木々は日に日に葉の衣を失い見た目も寒そうです。空には冬らしい低く暗い雲がかかるようになり、いよいよ身の冷える季節がやってきそうな気配がします。この冬は寒くなるそうですから、身も心もあたたかくして冬を迎えたいと思います。
私事ですが先々月あたりから、息子が外を歩くようになりました。運動量が格段に増え、動き回って疲れたあとは、親にひざ上で抱っこされると眠さに抗(あらが)いきれずそのままぐっすりと寝てしまいます。親に身をゆだねながらひざの上でスヤスヤと眠る息子の姿と、今月の掲示板の言葉が重なります。
寝ている息子はきっと抱かれているということも忘れて夢の中にいますが、しかし、親に抱かれているからこそ確かに伝わる温もりの中に安心しきって眠っているのでしょう。子が親の存在に気付いても気付かなくてもわが子を抱くその姿が、“いのちの親さま”である阿弥陀さまのおはたらきに重なってきます。
阿弥陀さまは、私が阿弥陀さまに気付く前から、「大事なあなたのいのち、この阿弥陀が必ずお浄土に生まれさせ、仏にしてみせる。そのいのち、決して無駄ないのちにはさせない。」と私を抱いてくださる仏さまでありました。その抱かれる温もりの中にあってこそ、私は阿弥陀さまのはたらきに気付くことができるのです。そして、気付いたときにはいつでももうすでに阿弥陀さまの腕の中でありました。
「 きづかなくても
大いなる
親のひざの上 」
浄土真宗のみ教えは、これからどうしていくのかを聞く教えではなく、今すでに私のいのちをしっかりと抱いていてくださるいのちの親さま、阿弥陀さまがいてくださることを聞かせていただく教えでありました。そして、阿弥陀さまに抱かれている安らぎを感じながら生きるということが浄土真宗のみ教えに生きるということでありました。
合掌