2020年12月19日土曜日

2020年12月の掲示板

 


 新型コロナウイルス一色の令和2年もいよいよあとわずかとなりました。そして、季節感を欠いた暖かい日もとうとう終わりを告げ、本格的な寒さがやってきました。毎日寒さに身を縮めていますが、朝の澄んだ空気が肺まで入ると体がシャキッとするので、寝ぼけた体にはちょうどいいのかもしれません。とはいえ、世間は本当に油断できない状況になってきました。くれぐれも体調には気を付けて年末年始を迎えたいと思います。


 さて、今月の掲示板の言葉は、前にも一度ご紹介した本山の御正忌報恩講(親鸞聖人のご命日法要 1月9日~16日)に際して毎年ご門徒のみなさまから募集される「御法楽献詠(ごほうらくけんえい)」に入選したおうたのひとつです。今月もおうたの言葉を読み解きながらおみ法を味わってみたいと思います。


 「うつし世」は「現世」とも書くように、今私たちが生きているこの世界のことを指します。私たちの生きるこの世界は、もちろん楽しいことも嬉しいこともありますが、それだけでは決して済まず、なかなか思うようにいかずに苦しんだり、時には言葉を失うほどの悲しみにも出遭っていかなければならないのがこの世界でありました。だからこそ、仏教ではこの世界のことを「娑婆(しゃば)=堪忍土(かんにんど)」、つまり、「苦しみ・悲しみ」を耐え忍んでいかなければならない世界と呼ぶのでしょう。


 この度の新型コロナウイルスも日に日に深刻化し、理不尽に多くの苦しみを生んでいます。今の状況は、まさに「生き難い」この世界の姿が顕著になっている状況と言ってもいいのかもしれません。では、私たちはこの生き難い世の中を、ただただ苦しみを堪(こら)えながら生きていかなければならないのでしょうか。否、作者の新道さんは「生き難いからこそ」と仰います。おうたの続きを読むと、「ゆったりと 大悲の風に この身まかせむ」と言われています。


 「大悲の風」とは、阿弥陀さまが私のいのちを底から支えんとしてくださるはたらき(大悲)を「風」にたとえてくださったものです。生き難いうつし世の風が、身も心も刺す冬の凍(い)てつくような風ならば、「大悲の風」とは、冬に積もり積もった雪や氷を解かす春のあたたかな風なのでしょう。春の風が無理なく自然に逆らわず穏やかに冷たい雪を解かしていくように、阿弥陀さまの大悲の風もまた、私たちに負担をかけず、それぞれのペースに合わせて無理なく、悲しみに冷え切った私たちの心をあたためて解かしてくださる、そんな風なのでしょう。つまり、それぞれが「苦しみ・悲しみ」をしっかりと受け止めることができるまで、気長にずーっと「苦しみ・悲しみ」をともにしながら支えてくださるのが阿弥陀さまでありました。急がなくても焦らなくてもいいように、私たちひとり一人に合わせて吹いてくださる「大悲の風」。だからこそ、「ゆったりと」この身を預けていくことができるのでした。


  「 生き難き うつし世ゆゑに 

    ゆったりと 大悲の風に この身まかせむ 」


 厳しいうつし世の風は幾度となくこの私の身に吹きかかりますが、だからこそ、私の心をあたためんとはたらき続けてくださっている阿弥陀さまの「大悲の風」を感じながらこの冬も乗り越えていきたいと思います。


合掌


誓林寺
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