例年よりずいぶん早く梅雨入りし、五月晴れとは正反対の空模様が続いています。けれども、新緑のみずみずしい色から少しずつ深まりを見せすっかり落ち着いた山の色は、梅雨の雨でホコリも落ち、さらに山の表情をくっきりとさせています。若く明るい緑は見るものに活力を与えてくれますが、成熟し深まる緑は私たちに落ち着きを与えてくれるようです。コロナと雨で心がそわそわしがちな時季ですが、悠然とたたずむ山々に心を落ち着かせてもらいながら過ごして参りたいと思います。
さて、今月の掲示板の言葉は、「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」というアーティストの『大丈夫』という歌の歌詞から書かせてもらいました。この曲は、2019年に公開された『天気の子』というアニメ映画の曲として書き下ろされたものです。この曲を映画の中で聞いたときに、この歌詞がとても胸に響きました。そして同時に、これはまさに阿弥陀さまのおはたらきに重なるなぁと感じました。言葉自体は難しくありませんが、この歌詞が言わんとしている心をみ教えに寄せながら味わってみたいと思います。
まず「大丈夫」という言葉ですが、この言葉には「あぶなげがなく安心できるさま。まちがいがなくて確かなさま」という意味があります。また仏教では、さとりを目指す「菩薩(ぼさつ)」のことを「大丈夫」と呼ぶこともあります。まさに聖道門(しょうどうもん)と言われる自分を鍛え高めながらさとりを目指す仏教は、「私が大丈夫になる」ことを目指していると言ってもいいのかもしれません。それはつまり、自分の人生の上に起こってくるすべての出来事を自分一人きりで受け止め切っていくということなのでしょう。
けれども私はと言えば、日常の小さな出来事でさえ受け止めきれずに右往左往し、悩み心苦しい日々を送っています。そんな私が「大丈夫になる」ことは到底かないそうにありません。そして、そんな私に対して「大丈夫になれ」という言葉ほど酷(こく)なものはありません。だからこそ、阿弥陀さまは私に「大丈夫になれ」とは仰いませんでした。阿弥陀さまは、大丈夫になれない、つまり苦しみも悲しみも自分では受け止めきれない私がここにいると見抜いてくださったからこそ、「そのあなたの受け止めきれない苦しみ悲しみを受け止め支えられる存在になりたい」と願ってくださったのでした。そして、その願いが願いの通りに完成し届いてくださっているすがたが「南無阿弥陀仏」のお念仏でありました。
阿弥陀さまは、私がお願いしたからお念仏となって届いてくださっているのではなく、私がたのむより先に阿弥陀さまの方から「私がいるから大丈夫」と届き支え続けてくださっているのです。だからこそ、私が苦しい現実から目を背け逃げたとしても、悲しみに押しつぶされても、その私をそのまま包み込み「私がいるから大丈夫」とお念仏となって喚(よ)びかけ続けてくださるのです。その喚び声に支えられ続ける中で、ひとりでは大丈夫になれない私が自分の人生と少しずつ向き合っていくことができるのでしょう。
「 君を大丈夫にしたいんじゃない
君にとっての「大丈夫」になりたい 」
私の代わりに私の人生を受け止めきることができる「私にとっての『大丈夫』」になってくださった阿弥陀さま。その阿弥陀さまのあたたかな喚び声の中を、私なりに右往左往しながらも精一杯生かさせていただきたいと思います。