「自力の御はからいにては真実の報土へ生るべからざるなり」
今月のお言葉は、親鸞聖人が関東のご門弟に書かれた『ご消息(お手紙)』の中の言葉です。
さて、浄土真宗のお話を聞き始めるとよく耳にする言葉がいくつかあります。その中に、「自力」と「他力」という言葉があります。みなさんも一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。この2つの言葉を浄土真宗で使うときには、省略されている言葉があります。それは、「~でお浄土に生まれる」という言葉です。
つまり「自力」とは、「自分の力でお浄土に生まれる」ということ。「他力」とは、「阿弥陀さまのおはたらきでお浄土に生まれる」ということです。
ですから、自分が頑張って誰かに良いことをすることがそのまま「自力」なのではありません。また反対に、誰かの力・助けをあてにすることも「他力」とは言いません。ただし、「自分が良いことをしたことでお浄土に生まれられる」と思ったなら、それは「自力」になります。
つまり、自分のしたことで「お浄土に生まれられる」と思ってみたり、逆に、こんなことでは「お浄土に生まれられない」と思ってみたりと、お浄土往生に対して自分をあてにする「心」のことを「自力」というのです。それを親鸞聖人は「自力の御はからい」と仰いました。そして、この「自力の御はからい」では「真実の報土(お浄土)」に生まれることはできないと仰っています。つまり、お浄土は自分がどうこうして生まれて往く世界ではないんだということを仰っているのです。
ではどうやって生まれて往くのかと言えば、「他力」によってお浄土に生まれて往くのです。「他力」とは、阿弥陀さまの「どうかお浄土に生まれてきてほしい」という「願い」のことです。この阿弥陀さまの願いは、私が良いことをしているときも、悪いことをしているときも、はたまた何もしていないときも決して変わることなく、途切れることなく私にかけ続けられています。この阿弥陀さまの願いによって必ずお浄土に生まれて往く、これが浄土真宗が大切にしている「他力」という言葉なのです。
そして、阿弥陀さまの願いの中にいるという何よりの証拠が、私の口から出てくださる「南無阿弥陀仏」のお念仏です。お念仏が出てくださるからこそ、願いの中に安心して生きていくことができるのです。