2020年2月23日日曜日

2020年2月の掲示板



 2月とは思えないような暖かい日があるかと思えば、やはり今は冬だったんだなと知らされる寒い日もあり、身体がなかなかついていきません。しかし、外を見れば梅の花はもうピークを過ぎかけ、境内の草も次々生え始めています。季節は着実に春に向かって流れているようです。一方世間では、新型コロナウイルスが猛威をふるっています。事態が早く収束することを願いつつ体調には十分気を付けながら過ごして参りたいと思います。

 さて、今月の掲示板のお言葉は、明治から昭和にかけて活躍された精神科医であり歌人でもある斎藤茂吉(さいとう もきち)さん(1882‐1953)のおうたからいただきました。
 「あかつき」とは、『デジタル大辞泉』には「太陽の昇る前のほの暗いころ。」とありますので夜明け前のことを言います。なので、詩でも「まだくらきより」と言われているのでしょう。そして、「御名(みな)」とは「南無阿弥陀仏」のお名号のことです。

 この詩を読むと、目覚めとともにお念仏を称(とな)えながら、厳かで澄んだ朝を迎えようとしている作者の姿が思われます。また、斎藤茂吉さんが、御名を称える「息」が尊いと詠んでくださったことで、お念仏の声が自然と聞こえてくるような気がします。

 ではなぜ作者は、「出で入る息」が尊いと言われたのでしょうか?いろんな読み方ができると思いますが、私は、お念仏の息そのものが阿弥陀さまだからであると味わわせていただきました。
 親鸞聖人はご本典『教行証文類(きょうぎょうしょうもんるい)』の中で、中国の元照律師(がんじょうりっし)のお言葉を引いて次のように示されています。

 「いわんや我が弥陀は名をもって物を接したまう。
  ここをもって耳に聞き口に誦(じゅ)するに、
  無辺の聖徳(しょうとく)識心(しきしん)に
  攬入(らんにゅう)す。」

 つまり、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」という御名(名号)となって私の心と体に入り満ちることで私を救ってくださる仏さまでありました。ですから、お念仏は私の体に入り満ちた阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」の声となって出てくださっている姿でありました。このお念仏によって私の耳に「南無阿弥陀仏」と聞こえてくださるからこそ、阿弥陀さまの「あなたを決して見捨てない阿弥陀という仏がここにいますよ。」のメッセージが私の心に響いてくださるのでした。

  「 あかつきの
    まだくらきより
    御名となふる
    出で入る息ぞ
    尊かりける 」

 まだまだ寒い朝。1日のはじめに白い息となりながら出てくださるお念仏に、阿弥陀さまのあたたかいお心を感じながら過ごして参りたいと思います。

称名

誓林寺

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