2019年2月7日木曜日

2019年2月の掲示板


 二月に入り立春を迎え、暖かい日も増えてきましたが、暦では春でもまだまだ冬を感じる今日この頃。寒暖差が身体に堪えますが体調には気を付けていきたいと思います。

 さて今月の掲示板の言葉は、大阪の仏教詩人 榎本栄一さん(1903-1998)の詩です。浄土真宗に帰依されていた榎本さんならではの明るく前向きでしたたかなお言葉です。

 以前ある先生が、「浄土真宗のみ教えをいただくということは、生涯をかけて阿弥陀さまが間違いないことを確認させていただくことだ」と仰っていました。阿弥陀さまが間違いないことを確認するということは、私が間違う人間だということを確認することでもありました。

 思えば私の毎日はしくじりの連続であります。けれどもそれを見抜いてくださったのが阿弥陀さまでありました。「自分は間違わん」と思っていた私がしくじった。その度に「あぁ、そうでありました。私はしくじる人間でありました。」と気付かせていただく。それは悲しいことではなく、まことに出遇えた、「目があい」た姿でありました。なればこそ、「我にまかせよ」の「南無阿弥陀仏」のお念仏の声がよりたのもしく聞こえてくるのでしょう。

  「またひとつ
   しくじった
   しくじるたびに
   目があいて
   世の中 すこし広くなる」

しくじっても、「おかげさまで世の中すこし広くなった」と受け止めていくことができたら、こんなに豊かな人生はないですね。そんな人生を歩ませていただきたいなと思います。
合掌

 

2019年1月4日金曜日

2019年1月の掲示板



 明けましておめでとうございます。誓林寺も無事新年を迎えることができました。今年は5月から31年間続いた「平成」が終わり新たな元号に変わりますね。元号が変われば世間もガラッと変わるのかと言えばそうではないでしょうけれども、しかし、一つの大きな転換点にはなるのかもしれませんね。私にとっても今年1年は大きな変化の年になる予感がします。変わりゆく中に変わらないおみ法をいただきながら本年も自分なりにがんばっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、2019年最初のお言葉は、奈良県橿原市の浄土真宗本願寺派のお寺にいらっしゃった中川静村先生のお言葉をいただきました。新年を迎えるにあたって、今の私を見つめ直すのにぴったりなお言葉だなと思い選ばせていただきました。

 このお言葉に触れて、ふと、昨年を振り返ってみただけでも、この私一人のいのちを支えるのに数えきれないほどのお手間や思いをかけていただいたことを思わされます。そして、私が気付けているのは1割、いや1%にも満たないのでしょう。そんな計り知れない思いや願い、お手間の中で私は「生かされて生きてき」て、「生かされて生きてい」ます。

 しかし、この中川先生のお言葉で一番大切なのは、実は後半ではないかなぁと思います。ややもすれば、「これだけ手間をかけていただいたんだから、これからはできるだけ手間のかからないようにしていかなければならない」とか、「できるだけ他人様の世話にならないように」という風になってしまいがちです。確かにそのような心持ちは尊いことではありますが、へたをすれば「手間をかけてもらうこと」「お世話になること」がいけないこと、恥ずべきことのようになってしまいます。しかし、そもそも今までもがそうであったように、私は計り知れないお手間の中で生き、これからもそうでないと生きていけません。ですから、「生かされること」「手間をかけてもらうこと」「お世話になること」は恥ずべきことではなく、「手を合わせていくこと」でありました。

 生かされずには生きていけないからこそ「手を合わし」、私を支えてくださるものが計り知れないからこそ「南無阿弥陀仏」とお念仏を申していくのでありました。

 「生かされて 生きてきた
  生かされて 生きている
  生かされて 生きていこうと
  手を合わす 南無阿弥陀仏」

ともに大きな願いの中にあるいのち、手を合わせお念仏を称えながら今年1年過ごして参りたいと思います。
合掌


2018年12月1日土曜日

新しい法座のご案内


来年(2019年)から新しい常例法座が始まります。

その名も、お正信偈の会です。

 そのまんまですが、みなさまとご一緒にお正信偈をお勤めさせていただき、お正信偈の内容を少しずつ読み進めていきたいなと思っています。お話は若院がさせていただきます。なるべく難しくなりすぎないように注意をしながら、気楽に足を運んでもらえる、そんな会にしたいなと思っております。
 また、この会に合わせてその月毎の祥月法要もさせていただきます。「お正信偈の会」の詳細は下記のご案内をご確認いただければ幸いです。

初回は、
1月19日()10時~ です。

参加費はありません。ちょっと立ち寄ってみました、くらいの感じで気楽にお参りしていただきたいなと思います。みなさまのお越しをお待ちしております。
合掌



2018年12月の掲示板


 いよいよ2018年最後の月となりました。これから冬本番、コタツから出られない日々になりそうですね。ここ長沢は南北に山があるため日の出が遅く、夕暮れが早いです。太陽の軌道が低くなるこの季節はより顕著になります。そのため、最近は午後3時過ぎになると太陽が山に隠れてしまって、急に気温も下がりだすのでなんだか1日が早く終わってしまうようでさみしい気持ちになってしまいます。おひさまの光がますます恋しくなる季節、今年やり残したことを片付けつつ、新年を迎える準備を進めて参りたいと思います。

 さて、今月の掲示板の言葉は私の大好きな詩を紹介させていただきました。この詩は、童話作家の工藤直子さんが紹介してくださった野原に住むこねずみさんのおうたです。この詩に出会った瞬間に一目惚れしてしまいました。おでこからしっぽの先まで、おひさまのあたたかさを全身で受け止めている素直で可愛いくてあったかい詩です。

 私たちは外へ外へとモノを求めていきます。けれども、太陽のぬくもりは遠く離れた宇宙まで取りに行かなくてもいいのです。なぜなら、そのぬくもりは今もう私のところまで届いているからです。こねずみさんのように、この身いっぱいに太陽の光を受け止めた時、おのずとぬくもりを感じていくことができるんですね。阿弥陀さまのぬくもりもどこか遠くに求める必要はありませんでした。「今」「ここ」に届いてくださっている「南無阿弥陀仏」のお念仏が阿弥陀さまのぬくもりのありだけでありました。そのありだけを全身で受け止めた時、おのずと阿弥陀さまの大きなお慈悲のぬくもりが感じられるのかもしれません。

 「かずかぎりないいのちのなかから
  ちっぽけなこのわたしひとり
  みつけだして
  おでこからあしのつまさきまで
  おじひであたためてくれるのね
  ・・・・・・
  あみださま
  ぼく
  ドキドキするほどうれしい」

私にはこんな風に聞こえてきました。お念仏のぬくもりをこの身に受けながら、心あたたまる1日1日を過ごしていきたいなと思います。
合掌



2018年11月28日水曜日

報恩講を終えて


 先日11月25日、快晴のもと、無事当山誓林寺の報恩講法要を勤めることができましたこと、まことに嬉しく有難く思います。報恩講は、仏具をおみがきしてくださった婦人会の役員さん、数日かけて立派な松の立花を生けてくださったご門徒さんや、幕を張り、旗を出し、会場を整え、駐車場の案内をし、参拝者の受付をしてくださった世話方のみなさん、参拝者のお斎を作ってくださった婦人会の方々のご協力があってこそ準備が整い、そして報恩講に参拝してくださるご門徒さんたちがいてはじめて迎えることができます。ご協力をいただいた方々、報恩講にお参りくださったみなさま、まことにありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

 さて、報恩講を勤めさせていただく意義は、宗祖親鸞聖人のご苦労に報恩感謝をすることですが、なによりの「報恩」は、私たち一人ひとりが阿弥陀さまに出遇わせていただくことでありました。
 この度は、若院が京都の伝道院でお世話になった藤本文隆先生にお取り次ぎをいただきました。「なもあみだぶつ」というお念仏は、私のいのちを支えてくださる言葉として阿弥陀さまから届けられていること。そして、阿弥陀さまは、太陽が野に咲く小さな花にもさんさんと光を降り注ぎ、そのいのちを輝かしていくように、私のいのちを照らし、ぬくもりを与え輝かしてくださる、そんな仏さまでることをお聞かせいただきました。また、ご法義は人を通して伝わっていくのであり、日常や法事、お寺の法要などの中で宗教的空間を共にすることの大切さを改めて教えていただきました。これからもみなさまとご一緒に阿弥陀さまのおみのりをお聴聞して参りたいと思います。

〔おまけ〕
 今年も去年に引き続き、お昼の休憩時間に絵解きをさせていただきました。2年目で、まだまだこれからも手探りは続きますが、楽しみながら聞いてくださる方もいてホッとしています。完結まであと6年、私自身も楽しみながら続けていきたいと思います(完結してもまた初めからやる予定です)。初めて聞きに来てくださる方も楽しんでいただけるように工夫しながらやっていきますので、今年来られなかった方も、来年からぜひ来てみてください。

合掌

2018年11月3日土曜日

11月行事のご案内


法座のご案内です。
11月25日()午前10時~、午後1時~
 誓林寺の報恩講
 をお勤めいたします。
 ・お勤め 正信偈(行譜、草譜)
      御伝鈔(上巻 第三段、第四段)
      御俗姓
 ・法話  藤本 文隆師 〔奈良教区 添下組 西教寺〕
   
  ☆お斎(おとき:食事のこと)が出ます。
   また、お昼休憩の間に若院による御絵伝※の絵解きもあります。
   (15分程度、同内容のものを2回します)
   ※御絵伝は親鸞聖人のご生涯を絵であらわしたものです。


 報恩講とは、ご開山親鸞聖人のご命日法要です。この法要を通して、浄土真宗のみ教えを生涯をかけてお伝えくださった親鸞聖人のご苦労を偲び、そのおかげで今、阿弥陀さまに出遇えたご恩に報謝するのです。親鸞聖人がおられなかったら浄土真宗はありません。だからこそ、1年を通して一番丁寧にお荘厳(お飾り)をして報恩講をお迎えさせていただきます。

 「1年は報恩講のために 報恩講は1年のために」

 親鸞聖人のご恩を思いつつ、阿弥陀さまのぬくもりをみんなで感じさせていただく、そんな報恩講にさせていただきたいなと思います。どうぞお誘い合わせてお参りくださいませ。


2018年11月の掲示板



 11月になり、朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。この冷え込みがキレイな紅葉を作るそうですが、今年は台風の影響で銀杏や楓などすでにほとんど落葉してしまったものもあり、少し寂しい秋になりそうです。残った葉っぱの中には、立派に紅葉するものもあれば枯れて落ちてしまうものもあるでしょう。しかし、それぞれがそれぞれの役割をしっかりと果たして次に来る季節に備えていのちを繋いでいくのでしょう。私たちはついつい目立つものに目を惹かれがちですが、目も向けないようなところにこそ実は大切なものがたくさん隠れているのかもしれません。

 さて、今月の掲示板の言葉は島根県の妙好人、善太郎さんのお言葉です。「ご恩」という言葉をなかなか日常で使わなくなってきましたが、大切に残していきたい言葉だなと思います。「恩」という字を『漢語林』で引いてみると、上の「因」という字に「いつくしむ」という意味があり、それに「心」がついて「いつくしむこころ」を表すのだそうです。そして、それを受けた者が有難く思う行為のことも「恩」というのだそうです。また「恩恵」と熟語するように、「めぐみ」という意味もあります。いずれにしても私のいのちを支え、大切にしてくれる思いやモノのことですね。

 「芋もご恩 大根もご恩 ごぼうもご恩」

 私の周りには気付かないだけでたくさんの「ご恩」が溢れています。見逃してきた大切な「ご恩」がたくさんあるのでしょう。これからもいっぱい見逃してしまうかもしれません。だからこそ、普段から身近なところから「ご恩」を見つける練習をしていきたいなと思います。特に今月は報恩講が勤まります。仏さまのご恩、親鸞聖人のご恩、皆さんとご一緒にしっかりとお聞かせいただきたいなと思います。
合掌